多様な人々を描いた絵本で、アジア系のみ切れ長のつり目に描くイラストは問題か

 はじめに

日本では、日々世界中の絵本が訳され、出版されています。
性的マイノリティーや、障害、人種などをテーマに描いた作品も多く、それらはステレオタイプや偏見、差別をなくそうといったメッセージが含まれていたり、誰もが開放的で自由に生きられる世界を目指そうといった展開で描かれています。
アジア系とみられる子が吊り目で描かれている絵本
(ピンクはおとこのこのいろ、KADOKAWA 2021/11)

反対に、人種や性別、障害を単純化したり、特徴を際立たせて描くのは、問題視される場合があります。例えば、黒人を力持ちで暴力的に描いたり、バイセクシャルを性に奔放に描いたり、障害者を物静かで主張しない人とだけ描いた作品は、ステレオタイプなものとして、批判の対象になります。
日本人を表すときも、眼鏡で出っ歯だったり、カメラを持たせて描けば、ステレオタイプを強化する表象として批判されるでしょう。

昨今多く出版される、多様な人々が集まるように描かれた絵本の中で、他の登場人物は小さな黒い丸などで目を表しているが、アジア系を描いたイラストのみで、目を切れ長に、つり目にされていることがあります。
つり目の描写は、上記したようなアジア人であることの省略表現として、ステレオタイプで問題のある描き方でしょうか。
左上のアジア系の子が吊り目で描かれている。
(じぶんのきもち みんなのきもち あかね書房 2022/09)

個人を表す特徴

様々なタイプの人物が集まる絵本の描写において、車椅子に座る人もいれば、眼鏡をかけた人も、ピンクの服を着る男の子も、茶色い肌の人や金髪の人、民族衣装を着る人、カーリーヘアの人などなど……、それぞれのキャラクターが、時に差別的な言動に用いられるような特徴に、後ろめたさなんて持たず(感じさせず)生き生きとしている様子が描かれていれば、それは多くの立場の人の励みになるし、読んでいて楽しいものです。

つり目のイラストにしても、個人を表す特徴として、また、多様な人々を表すひとつとして、絵本の読者が自分を投影しやすいような、楽しく平和に暮らす一人の登場人物として描くことは、問題がないようにも思えます。

一方で、マジョリティとマイノリティの関係も視野に入れる必要があります。
日本に暮らしていれば、多数派が日本人ですが、例えば日本の学校を舞台にクラスの子どもたちを描く際、たった一人いる白人の子だけ鼻を高く描き、そばかすを強調するようにしたり、黒人の子だけくちびるを厚く、鼻を丸く描けば、その表現はステレオタイプなものとして批判されるでしょう。

ただ、登場人物の簡略化やデフォルメをして描くことは当たり前のことで、顔を描く際、例えばくちびるをしっかり描くイラストは少ないし、鼻が省略されていることも多々あります。目を線で描くのも一つの手法ですが、しかし、登場人物の中で少ないアジア系の目だけを線で描くことも、また同様に違和感があります。

小さな子どもにとって絵本の影響力は強く、世界中の子どもたちが友人やクラスメイトを描いたとき、アジア系のみをつり目に描いては、対象となった子は突き放されたような気持ちになり傷つくかもしれません。
右下のアジア系とみられる子が吊り目で描かれている。
(いえのなかといえのそとで、廣済堂あかつき 2021/03)

ジェスチャーは差別的で問題があると広く認識されている

斜めに目を吊り上げるジェスチャーは、アジア人を嘲笑する人種差別として、批判されています。
2017年には、メジャーリーグ、ドジャース時代のダルビッシュ有投手が、対戦相手選手から、目を細くするポーズをとられ、人種差別問題に発展し、ポーズを行った選手は、2018年シーズン開幕戦から5試合の出場停止処分が課されられました。

2021年8月には、サッカーのユベントスの女子チームの公式twitterに、選手がアジア人に対する人種差別的なジェスチャーをする写真が投稿され、クラブが謝罪する事態となっています。

そして、イラストでも、アイルランドのスターバックスが、タイにルーツを持つ客に提供したカップに「つり目」の顔のイラストを描いたとして、賠償金約151万円をこの客に支払うよう命じられました。

当然ながら、これらの揶揄をした行為と、多様性を目的とした絵本は方向性が異なります。ただ、特徴を際立たせるという点では一致しています。差別の露呈は無意識、無自覚な所から始まるもので、絵本の描き方においても注意が必要と言えるでしょう。

肯定的に捉え直す絵本

黒人の肌の色や、特有のカーリーヘアを肯定的に捉え直す絵本は多く存在します。アジア系の特徴的な目にしても、表現を工夫して描くことは、一つの個性の表現として、力強い物語にもなりえます。
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邦訳されていませんが、『Eyes That Kiss in the Corners』という絵本は、アジア系の女の子が、自分の目と、他の子たちが違うことに気づいたところから始まる物語です。

大きく丸い目と、長いまつ毛を持った他の子たちとは違い、彼女は、自分の目が母親、祖母、妹と似ていることに気づきます。そして、自分たちの目を「片すみにキスをした瞳」で、「温かい紅茶色」のように輝くと前向きに捉え直し、自分自身の美しさを認識します。

認識の違い

上記のような絵本も出版されていますが、そもそも、多くのアジアに住む人たちは、自分たちの目を、あえて線で描かれるほど細いとは考えてなく、というのは、普段向き合ったときでも、会話をしているときでも、黒や茶色に輝く相手の瞳は見えているのだから、ことさらに強調せずに、他の登場人物と同様に描くべきという思いがあるようです。
つり目の評価はマジョリティ視点からのもので、オリエンタリズムな表現にも似た、西洋中心的な思考に違和感を覚えるのではないかとも思います。

また、「うすだいだい」の肌の色、「ダークブラウン」の瞳、「黒」い髪の色は特徴として受け入れているが、細い目はコンプレックスにもなり、しばしば整形手術の対象ともなるもので、あえて描かれることに拒否感を持つ人が多いとも感じます。

終わりに

結論づけることは難しく、当然、読者によっても感じ方はさまざまで、同じ絵本でも全く気にならない人もいれば、引っかかる人も、傷つく人もいるでしょう。

個人的には、多くの人物がいる中、アジア系のみをつり目にする描写は、基本的に好ましくない表現と考えています。ただ、つり目のアジア系が描かれた際、即座に差別的と判断するのではなく、大事なことはそれぞれの絵本で、どのような描かれ方がされているかで、判断する必要があります。

当たり前の話ですが、物語の展開やセリフも頭に入れながら、一冊の絵本としてのテクストを読み、その表現が特徴を自然で前向きに捉えられるように描いているか、誇張されたステレオタイプで悪影響が生まれるかを見極め解釈するべきと考えています。